もっと面白いことができるのではないか
そんなことから企画職になった。
人生寄り道は多くしてきたので同じ年齢の人よりも広く浅く知識があり、その組み合わせ、閃きで新しい考えにたどり着くのが好きだった。
大きな会社ではないので人員は私のみ。
あとは若手社長とTHE昭和の現場の人のみである。
広告費に掛ける資金はなく、新しいものをいきなり何千万、何百万という単位で売ることはできないのてSNSでコツコツとまずは認知から始めていこうとする。
一年目は好調でイベントに出たりしてお客様が掴めてきた。
ただ、私の仕事の商品は必需品でも実用品でもない数百円という薄利多売嗜好品の商品で糸口が中々掴めない。
出展の報告、客層、小さな売上を日々報告し半年ほどが経った。
普段は届かないエンドユーザーの声が直接的に現場まで届けられる、技術的にもしっかりと見てもらえて評価していただきOEMよりも高い価格で販売することができ始めた矢先、
暫くして上がった現場からの声は
「これ、やる意味ある?せめて自分の給料ぐらい売上上げてよ」
との意見だった。
OEM脱却、広告費を使わないオリジナル製品というやり方で数百円の単価を10万単位で売るというのは相当に厳しく、月に何万円を絞り出すのがやっとだった。
先人がいない道を開拓して後ろからはまとめて石を投げられる
何度も何度も立ち上がっては来たものの、販路開拓、営業、接客、経理そして企画と自分の中のキャパがオーバーしてしまっていた。
以前は提案を手伝ってくれる人もいたものの、その人の提案を形にして価格を決め、社内でも検討、いざ試作で展示しようとする直前に「え、ほんとにこれ売るの?笑」と、今までの時間がまるでなかったかのように扱われたのでそれ以降は1人でやりきっていた。
ただ、企画書まで書いても「やったことがない。売れるかどうかわからないのに作れない」という意見でまた地面に叩きつけられるのだ。
最初は技術に惚れ込んで何とか自社の製品にして広めたいという気持ちなんて自分だけだったのか、と空回りだったらしい。
つかれてしまったので少し休みたいと思う。